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鎌ヶ谷電化センター物語

2現社長、関川 宏行(ひろゆき)の誕生から、小学校時代まで

幼児時代:両親の愛情をたっぷりと受け、すくすく育つ

父と母は、朝早くから夜遅くまで頑張って働き、小さいながらもお店は軌道に乗りだしました。そんな中、私、関川宏行は昭和44年2月6日、鎌ヶ谷市で生をうけました。「跡継ぎだ!」と当時、父は大変よろこんだそうです。名前は、壮大なイメ-ジの「宏」と、行動的・独立心・未来を感じさせる「行」を合わせ、「宏行」と付けられました。

忙しい両親でしたが、私の健やかな成長を願い、「誕生日」や「こどもの日」「七五三」などの行事は親類を招き、祝ってくれました。おぼろ気ですが店休日には、習志野の「京成バラ園(旧:谷津遊園地)」「海水浴」「スキ-場」に連れて行ってくれた記憶があります。

小学校時代:今でも忘れなれない、2つの想い出

弟2人が誕生。通っていた市立鎌ヶ谷小学校では絵画で表彰されたり、体育の時間には右手を骨折したりと、ハプニングがありながらも楽しい学校生活を送っていました。

ある日の帰り、いつもの道を歩いていると、草むらから可愛らしい鳴き声が。そーっと近づくと、箱の中にうずくまる一匹の子犬が。「かわいいなぁ」と思いながらもその場を離れると、ヨタヨタと私のあとを着いて来ます。「ん~、どうしょうかなぁ…」と迷いましたが、一旦わが家へ連れて帰ることにしました。「忙しいからお父さんもお母さんも、きっと反対するだろう」と思い、こっそり弟たちに相談すると「このコを飼うことは、僕たちだけの秘密にしよう!」ということに。ですが所詮、こどもの秘密。2日目には父に見つかってしまいました。父は猛反対し「すぐに元の草むらに戻しなさい」と怒ります。諦めきれない私は、泣きながら母に「兄弟でしっかり面倒見るから飼わせて!」と必死に頼み込みました。母は、「お食事・お散歩・お手入れを、自分たちでしっかりできる?」と言いました。元気よく「ハイ!」と答えると、母は「じゃあ、お父さんと相談してみるわ」と言ってくれました。…翌日、許してくれた父は犬小屋を作り「チビ」と名付けてくれました。私たち兄弟は、父と母に感謝しました。

そしてもう一つ、私には忘れられない想い出があります。それは、両親の職場であり、家族の住居スペースでもある「鎌ヶ谷電化センター」が突然、火事になってしまったことです。季節は秋。悲しいことに建物は見る見る燃え上がり、消防隊員さんによる決死の消火活動もむなしく、建物は全焼してしまいました。父も母も茫然自失で、努力と愛情の詰まったお店を、ただただ見つめるしかなかったようです。

建物を建て直すまでの間、私たち家族は平屋で仮屋住まいをしていました。普段は気丈に振る舞う両親でしたが、子供たちが寝静まった後の会話はとても深刻そうで…。布団の中からこっそり聞く私の心に、重く圧し掛かりました。それと同時に「長男として、僕も頑張らなければ!」という自立心が芽生えたことも覚えています。その後、建て直した新居に両親は、兄弟3人それぞれに1人部屋と勉強机、ベッドを与えてくれました。大人になって気が付きましたが、当時とても大変だったはずなのに、私たちのために頑張ってくれたんだと思います。