OPEN

鎌ヶ谷電化センター物語

4社長・関川宏行の「高校」から「専門学校」時代

高校時代:「青春」と、「片手に論語、片手に算盤(そろばん)」を学ぶ!

私は希望通り、千葉市にある「千葉経済大学附属高等学校」に進学。坊主頭はスポ-ツ刈りに変わり、自分が天然パーマだったことに改めて気づかされました。当時まだなかった言葉「朝シャン」が習慣になったのは、この時期からです。クラス・入部した卓球部はともに男子だらけ。むさ苦しいながらも解放的で、楽しい学校生活でした。通学電車で毎朝見かける他校の女性を好きになったこともありましたが、声もかけられず片思いに終わりました。今だったら何度も振られているかもしれないですね(笑)

2年生になると、私は家業を継ぐことについて真剣に考えるようなり、今まで本腰を入れていなかった勉強に力を入れるようになりました。

「千葉経済大学附属高等学校」の建学の精神に、日本資本主義の父・渋沢栄一が語った「片手に論語・片手に算盤(そろばん)」があります。

「算盤」は、商業の基礎となる「簿記」「ビジネスに関する知識技能」を身に着けること。商売をするには最も重要なスキルです。お店の将来を考え頑張り、商業検定試験の「算盤1級」に合格することができました。経営者のリーダーシップ育成を目指した「課題研究」では模擬の株式会社を設立し、商品の販売や流通についての理論を知り、大変勉強になりました。

「論語」についてはなじみがなく、始めはピンときませんでしたが、あることがきっかけで、興味を持つようになりました。ある日のこと。私はいつもの仲間と楽しく遊んでいました。ところが、ちょっとしたことで友人の一人と口論に。とても仲のよい友人だったのですが、口も利かない状態になってしまいました。「素直に謝っておけば…。」ごめんと言えない自分のもどかしさを感じていた時、論語の授業で2つの言葉を学びました。

・過(あやま)ちては則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばかる)ることなかれ。
<意味> 過(あやま)ちを犯(おか)したら、面子(めんつ)にこだわったりしないで、あっさりと改めることだ。

・われ日に三たびわが身を省(かえり)みる。
<意味>私は、自分の行ったことを、日に何回となく反省することにしている。

論語のおかげで、気まずい関係だった友人に素直に謝ることができ、無事に仲直りしました。これを機会に、またさらに深い仲になれたと思います。今2つの論語は、私の「商いの道」を歩む指針になっています。

専門学校時代:家業に必須!家電製品のサ-ビス技術を学ぶ!

高校卒業後、私は目標である家業を継ぐことに必要な家電製品の知識・技術・資格を修得するため、父も通った「千代田工科芸術専門学校」の「テレビ・ビデオ科」へ入学しました。

この頃、車の免許も取得し、社会人としての責任を自覚するようになりました。また机上の勉強だけではなく、いち早く「職業人」を経験しょうと思い、東芝首都圏サ-ビス(以下、東芝サ-ビス)で初めてのアルバイトも開始。東芝サ-ビスの社員の方と同行して実際の修理の現場を学べたことは、とても貴重な体験でした。お客さまに笑顔であいさつし、お困りごとを丁寧にヒアリング。故障の原因と修理の難易度を予測して、短時間でテキパキと作業を終える。そんな社員の方の技術力に圧倒され、「学校で教わった通りには行かないものだとなぁ」とつくづく実感しました。「自分ひとりで、本当にできるのだろうか?」と心配になったぐらいです。そこで私はお店を継ぐ前に、経験を積むため東芝サ-ビスに一旦就職することを決意。勉強と並行して就職活動を行い、無事内定をいただきました。ところが、両親は猛反対。早く自分たちの元で商売を覚えてほしかったようです。「そのままサラリ-マンになってしまうのでは…」と心配していたのかもしれません。私は、3~5年後には家業を継ぐことを両親に約束し、東芝サ-ビスへ入社しました。