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鎌ヶ谷電化センター物語

1現会長、関川 宏(ひろし)の青年時代~鎌ヶ谷電化センター創業まで…

高校~会社員時代:知識を得るため、勉強の日々

昭和28年、新潟県新発田市にある商店街の街頭テレビ。力道山が繰り出す「空手チョップ」に熱狂する群衆の中に、高校一年生だった父の姿がありました。好奇心旺盛な父は力道山の雄姿に白熱しつつ、「アンテナがどうやって電波を受信して、映像としてブラウン管に映るんだろう?」と、テレビ自体の構造に興味を持ちました。テレビはこれから家庭に普及していく時代。将来は、自分でラジオやテレビを扱う電器店を開業することが夢だったそうです。

高校卒業後、父は新潟から東京へ上京。小岩にある、義兄が営む東芝ストアー「宮島電気」に入社しました。当時の電器店は「修理屋さん」というイメージがあり、家電販売だけでなく修理対応することが当たり前でした。その技術を身に着けるべく父は「千代田テレビ技術学校」に入学。朝昼は仕事、夜は学生として3年間コツコツ学び、無事技術を習得しました。そんな頑張りが実を結び、その後、父は修理技術を活かした宮島電気の「トップセ-ルスマン」へと成長しました。

独立決意~鎌ヶ谷電化センター誕生:夫婦、二人三脚でスタート

父は「三十にして立つ」の論語を支えに、8年間お世話になった宮島電気を退職。独立のため東芝ストアーの特約店を構える話を進めていましたが、大きな壁にぶつかりました。東芝の担当者さんが「ぜひ東芝ストア-として開店して欲しいのですが、条件があります」とおっしゃるのです。当時、街の電器屋さんは通称「パパママストア」とも言われ、今では考えられないことですが「夫婦で開業」が必須条件だったのです!まだ独り身だった父。大変困ったそうですが、思い立ったら吉日!知人を通じて私の母と即お見合。昭和43年3月、当時とはしては異例の超スピ-ド婚を成し遂げ、無事、同年4月に鎌ヶ谷に「鎌ヶ谷電化センター」が誕生しました。

夫婦二人ではじめた小さな電器店。父はそれまでに培った経験を活かし、家電販売や修理対応のためバリバリ外回り。ですが、母は何もかもが初めての経験。どうしていいかわからず最初は少し戸惑ったようです。それでも「お客様と少しでも仲良くなるために」と、笑顔でお茶を出し、世間話をし、お困りごとは親身になって伺い、きちんと父へ連絡し、すぐに対応できるようにしていたそうです。

そんな日々の積み重ねの結果、ありがたいことに鎌ヶ谷電化センターは「親切な街の電器屋さん」として評判をいただくようになりました。おかげさまで、少しずつお客さまも増え、この時期にお店の基礎ができました。