5そして、プロに!社長・関川宏行の「東芝サービス時代」
■東芝サ-ビスの新人時代:給料をもらい、プロの仕事に目覚める!
東芝サ-ビスへ入社後、まずは新人研修からスタート。「企業の方針」「社会人としての基本スキル」「業務知識」「業務スキル」などを学び、いよいよ各職場へ。私はてっきり、アルバイト先だった上野で働くものだと思い込んでいましたが、配属先は別の場所、千葉市問屋町のサ-ビスステーションになりました。見習い期間中は必ず先輩の同行があり、お客さま先へお邪魔する前は故障状況を説明してくれ、現場では修理手順を一つひとつ、わかりやすく指導してくれました。馴染みのない職場のため最初は緊張しましたが、先輩も同僚もみんな優しく、最高の仲間に出会えました。
夏場に入ると、仕事も驚くほど多忙になり、テレビやエアコン・冷蔵庫などスピ-ドを求められる修理依頼の電話がひっきりなしに掛かってきました。そこで、いよいよ私も一人で外回りデビューすることに。「入社からたった3か月でお客さま先に1人で向かうなんて、新人サービスマンの歴史を変えたね。」と先輩に半分おだてられながらも、独り立ちを果たしました。
誰よりも早くデビューした私ですが、その後半年ぐらいは慣れないことが多く、大変な日々が続きました。お客さまの家をすぐに見つけられなかったり、修理時間が読めなかったりと、上手くいないことが度々。お客さまから「遅いわねと」言われ、謝ることもしばしば。昼食の時間はなかなか取れず、終業時間の17時を回っても帰社できず…。携帯電話がない時代でしたから職場に連絡もできない状況で、大変苦労しました。「関川君も、やっと自分の給料分を自分で稼いだね!」と先輩に言われた時は「やっぱり、お金を貰って働くことは苦労もするし、給料に見合う仕事をしないと生きて行けないんだな」と思い知らされました。この言葉は今でも印象に残っています。
■東芝サ-ビスの管理職時代:24歳で管理職に抜擢!
東芝サ-ビス入社から4年が経ち、私は24歳になりました。気が付けば修理の腕も上がり、先輩にフォローされる立場から、後輩をサポ-トする立場へと成長。そんな仕事ぶりを信頼してもらえたのか、ある日の人事異動で、白物家電担当のトップとなる管理職に抜擢されました。
それまではプレイヤ-として着実に業務をこなすのみでしたが、管理職となると責任の範囲はさらに広がります。部下を持ち、目標を達成するための方法を考え、一緒に実行していく。組織の中間管理職として貴重な体験や、スキルアップをさせていただきましたが、その一方で上司と部下の間に入り、板挟みになることも多く「大変だな…」と感じる経験もしました。
管理職になって2年が経った頃、父から「従業員が退社するから、人手が足りなくなった。そろそろ店へ戻って来てくれないか?」と打診されました。両親との約束を守るため、10代から思い描いた夢を実現させるため、私は上司に退職の意向を相談をしました。残念がりながらも上司は、鎌ヶ谷電化センタ-の成長・発展へ向けた激励の言葉をはなむけとしてくれました。平成6年3月、私は東芝サ-ビスを退社しました。